スコセッシ監督のカジノ(1995)が超ビミョウな理由!クズ女の扱いが不適切!?無料視聴サイトも紹介!

スコセッシのカジノ

グッド・フェローズなどマフィア・ギャングモノに定評があるマーティン・スコセッシ。そんな彼が1995年に作ったのが『カジノ(Casino)』であり、ロバート・デ・ニーロやジョー・ペシなど、そうそうたる“お馴染みメンバー”が出演しているが、内容はかなり微妙だった。

この記事ではカジノがつまらなかった理由を考察していく。

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(ネタバレあり注意!!)

ギャングの女性問題が主題

『カジノ』が『グッド・フェローズ』と一番違う部分は、主人公エース(ロバート・デ・ニーロ)の女性問題に大きなスポットを当てたことだろう。『グッド・フェローズ』では話題の一部として扱われていた女性関係だが、『カジノ』では一番大きな問題として描かれている。

エースとニッキー(ジョー・ペシ)の友情と確執だけを描けば、シンプルで見やすいものになっただろうが、そこにエースのクズな妻ジンジャー(シャロン・ストーン)が入ってきたので、関係が複雑になり、感情移入しずらい作品になってしまった。

裏社会の美学を無視したクズ女

『カジノ』の登場人物にイマイチ感情移入できなかった理由は、人間関係が複雑だったことだけではない。

一番大きな理由は、ジンジャーがマフィアやギャングなどの流儀というか、裏社会の美学的なものをまったく兼ね備えていないクズ女だったからだ。

彼女にスポットが当たったことにより、マフィアモノを観ているはずが、延々と美学のないヒステリックなクズ女を見せれて、フラストレーションが溜まるという作品になってしまった。

カジノ シャロンストーン

マフィアの取り巻きであるエースの妻として、ジンジャーがどう生きるか?という主張がないのがいただけない。何より、自分が夜出かけるために、娘をベッドに縛るというクズである。美質ゼロ人間。そんなジンジャーに惹かれたエースの人間的魅力も揺らいでしまうほどのクズっぷり。

つまり、『カジノ』はもはやマフィア・ギャングものではなくなってしまっており、その”チグハグ感”が最後まで拭えなかった。マフィアの美学や男女関係が中途半端に描かれたといえばわかりやすいだろう。

カジノのデニーロ

モノローグ(語り)が二人

主人公によるモノローグ(語ること。独白。)はマーティン・スコセッシ監督の十八番。しかし、グッド・フェローズでは一人だった語り手が、カジノでは二人に増えている。

エースとニッキーの二人ともが、ストーリーの合間に語り出すのだ。モノローグは観客に直接心情を吐露するため、距離がグッと縮まるのだが、二人から語りかけられると、なんかうざったい。

重い相談を二人同時にされると混乱してしまうのと一緒だ。深刻な話を語ってくるのは一人で十分。

カジノのジョーペシ

暴力的なカタルシスが少ない

スコセッシの映画の大きな魅力は、積み木を一瞬で崩すようなカタルシスだろう。『タクシー・ドライバー』では、不満と緊張が最高潮に達し、暴発。『グッド・フェローズ』では、マフィアの取り巻きとして成功を収めるが、だんだんと身を滅ぼしていく。『アビエイター』でも潔癖症ですべて失っていく。

今回のカジノでは、そのカタルシスが少ない。ニッキーがトウモロコシ畑で撲殺されるところはよかったが、エースは普通に賭博の予想屋として生活していくし、何より憎っくきジンジャーは勝手に死んでいく。

個人的には、ジンジャーがあっと驚くような殺され方をされれば、この映画の評価は全然変わっていたと考えている。

シャロンストーン

カジノのまとめ

ここだけの話、スコセッシはたまにハズレ映画を作る(個人の意見です)。ギャング・オブ・ニューヨークや今回解説したカジノがそれにあたるだろう。

カジノをまとめると、女性関係にスポットをあて、モノローグを二人にするという斬新な部分があったが、マフィアモノとしては散漫になってカタルシスも少なかった作品。

カジノのロバート

スコセッシならではのカッコいいシーンはあるよ!

しかし、演技については見所がある作品なので、観て損はないといえるだろう。