『アイズ・ワイド・シャット』が公開されたの1999年当時、本当に夫婦だったトム・クルーズとニコール・キッドマンが夫婦役を演じ話題になりました。この記事では『アイズ・ワイド・シャット』がどんな映画なのか?テーマは何か?キューブリックの隠されたメッセージとは?などを解説していきたいと思います。
『アイズ・ワイド・シャット』はこんな映画
『アイズ・ワイド・シャット』のあらすじ概要(完全ネタバレ)
『アイズ・ワイド・シャット』は、妻のアリス(ニコール・キッドマン)に浮気願望があると言われてショックを受けたビル(トム・クルーズ)が、ヤケになって夜でぶらぶら街を歩き、売春婦と仲良くなったり、旧友のつてで仮面を被って屋敷で行われた乱行パーティーに行ったりした翌日、乱行パーティーについて調べようとすると、各方面から脅され、妻に全てを話すというもの。
『アイズ・ワイド・シャット』の種明かしとテーマ
『アイズ・ワイド・シャット』の原作は「夢小説」という1926年に出版された小説元になっている。作者はアルトゥル・シュニッツラーというオーストリア人で、かの有名な心理学者フロイトと知り合いだったらしく、夢は人間の抑圧された心理状態の裏返しという夢判断に影響を受けてこの小説を書いたともいわれている。
要するに『アイズ・ワイド・シャット』は妻の言動にショックを受け、浮気したいけど、それができずに悩む男の夢の話なのだ。
この映画のテーマは、夫婦には互いに言えない欲望があり、それが元で不仲になることもあるけど、結局はヤレば元どおりになるよ。もっとわかりやすく解釈すれば、下記のようになる。
「欲望は欲望でしか解消できない。大した意味はないぜファッ○!」
アイズ・ワイド・シャットの意味は
『アイズ・ワイド・シャット(Eyes Wide Shut)』を直訳すると、大きく目を閉じろ!というもの。「見てもショックを受けるだけで、意味のないこともあるぜ」というキューブリックの皮肉的なメッセージが込められている。
ちなみにこの、Eyes Wide Shutという言葉は、「Keep your eyes wide open before marriage, and half shut afterwards」(訳:結婚前はしっかり相手を見ろ。結婚したら半分閉じろ!)という欧米の結婚式のスピーチのお決まりの笑い文句を少し変えたもの。
キューブリックは『アイズ・ワイド・シャット』を駄作だと言った
スタンリー・キューブリック自身も『アイズ・ワイド・シャット』の出来に満足していなかったという記事を見つけた。
スタンリー・キューブリック監督が、生前、友人で俳優のR・リー・アーメイに「『アイズ・ワイド・シャット』は駄作だ」と語っていたことがわかった。この作品はトム・クルーズとニコール・キッドマン元夫妻が出演し、キューブリック監督の遺作となった作品だが、アーメイによると「彼が亡くなる2週間前に電話をしてきて、この作品について話をした。クルーズとキッドマンが好きなようにやった、と言っていた」とのこと。
(引用元サイト)
つまり大スターのトム・クルーズとニコール・キッドマンには、演技や撮影の進め方に彼らなりの流儀があって、そのせいでうまくいかなかったということだろう。
R・リー・アーメイからの又聞き話なので、どの程度トム・クルーズとニコール・キッドマンに原因があったのかは不明だが、インパクトに欠ける映画に仕上がったことは確かだ。
ラストのセリフはキューブリックの遺言
アリス(ニコール・キッドマン)が最後にいう「FUCK」というセリフは、『アイズ・ワイド・シャット』のテーマであるとともに、キューブリックの遺言だとも言われている。世間に対していつも上から目線で意見を述べていた彼らしい。
それとも『アイズ・ワイド・シャット』の出来映えに満足いかなかったことに対しての言葉だろうか。キューブリック監督は映画の公開前に死んでしまったので真相は闇の中だ。
『アイズ・ワイド・シャット』がつまらない理由
『アイズ・ワイド・シャット』はスタンリー・キューブリック作品の中では人気が高い方ではないし、個人的にはつまらなかった。その理由を説明したい。
抑圧された夢というのがつまらない
ビル(トム・クルーズ)が経験した夜の街や屋敷での乱行パーティーが夢だったということなのだが、夢だったというところに意外性や面白さをまったく感じない。
ちなみに、アリス(ニコール・キッドマン)の夢だったという解釈もある。
新聞の文字がビル(トム・クルーズ)の心情を表していたりと細かい仕掛けはたくさんあるのだが、夢だったというオチ自体に驚きがないのだ。
映像にキューブリックらしさがない
スタンリー・キューブリック監督の撮影技法として、左右対称な映像が特徴だが、今作はそれがなかった( Blu-rayで観たのだが、キューブリックの以降で画面比率が非対称になるように変えられていたせいだろうか?)。
それに映像も揺れているような感じのシーンが多い。
キューブリック作品なので、『2001年宇宙の旅』や『シャイニング』のように、映像が凝りすぎていて、観ているだけで幸せ!楽しい!という瞬間が少なかったのが不満。