『十二人の怒れる男』!超有名作で、誰もがタイトルくらいは知っているのではないか?
この映画に影響され、作られた法廷モノは数知れず。画期的な名作である。
個人的な感想は、映画としては面白いが、結末に納得いかないというもの。
陪審員8番の議論でひっくり返される正義の逆転劇!とも見えるが、陪審員制度の穴を露呈していた点も考えなくてはいけないと思う。その辺を重点的に解説していく。
ネタバレあり注意!!
無罪の理由は何一つ無い,証言の嘘の可能性を追求
『十二人の怒れる男』について、まず、少年が有罪である証拠を考えてみよう。
ちなみに、少年は、父親をナイフで刺して、戻ってきたところを捕まっている。
- 少年は珍しいナイフを買い、それが凶器
- 下の階の老人が下で叫び声をあげ、出ていくのを目撃
- 向かいの女性が少年が父親を刺すのをみていた
主な証拠はこの3つ。
他にも、少年は父親から暴力を受けていた。凶器と同じ型のナイフを友達に見せていた。犯行時刻は映画に行ったと供述しているが、映画の内容を覚えていないなどの、状況証拠もいくつかある。
その3つに対して、陪審員8番がどう反論したか、冷静に考えてみよう。
少年は珍しいナイフを買い、それが凶器
これに対しては、犯行現場で似たナイフを買い、凶器が珍しくないものだと証明。少年がナイフを落としたと言っているのは本当かもしれず、他の人が犯行に及んだ可能性も捨てきれないと示唆。
下の階の老人が下で叫び声をあげ、出ていくのを目撃
法廷で老人が脚を引きずっていたので、犯行時の叫び声を聞いて、ドアに行って、階段を降りる少年を見たというのが疑わしい。そもそも線路沿いで列車が走っていたので、叫び声は聞こえないはずだと反論。
向かいの女性が少年が父親を刺すのをみていた
女性が法廷でメガネの跡があったことから視力が悪いと判断、夜、向かいの殺人をしっかり確認できたか疑わしいと反論。
女性の視力の程度については、全く確証がない。
結論
3つの証拠と、それに対する陪審員8番の反論について、一通りみてもらったが、あることに気がつかないだろうか?
結局、陪審員8番は、目撃者の女性と、証言者の老人の供述について、正確ではないという可能性を示しただけである。
それでイイじゃないか!と考える人も、あるいはあるかも知れない。
しかし、冷静に考えてみると、供述の本筋はあっており、細かい部分が不正確かもしれないだけ、という確率が一番高い。
それに加え、少年が無罪であるという理由は一切出てこない。
これを個人的に考えると、再度証言をしっかり確認して、再度協議する必要があるのではないか?
陪審員制度の場合、無罪が出てしまうと、覆せないらしいが・・・
陪審員制度の欠点が露呈された映画
アメリカの陪審員制度については、犯罪や法律に詳しくない一般市民が行うのは、そもそも間違っていないか?という根本的な問題が、成立時から指摘されている。
『十二人の怒れる男』では、指紋や犯行現場とり押さえなど、確実性の高い証拠がないので、ヒロイズムの裏側に、議論上手な理想主義者の思い通りに決断が出てしまうという怖さも示されている。
疑わしきは罰せずという刑事裁判の原則を武器に、他の証拠を切り捨ててしまうことができる!
陪審員制度は一般人同士の議論なので、検事を相手にするより、他の証拠の切り捨てが、容易にできてしまう!というのは、非常に大きな問題だろう。
もちろん、それで冤罪だった人が救われる可能性もあるわけで、疑わしきは罰せずという原則が間違いだとも言えないが、一方で、O・J・シンプソン事件のような、世界が驚愕するような無罪判決も生まれてしまう。
『十二人の怒れる男』は、論理的な議論により、陪審員制度の問題点を浮き彫りにしてくれた。シナリオ自体も見事だが、そういう疑問を抱かせてくれる映画としても、非常に価値が高い作品だ。
最後に・・筆者の考えは述べたが、司法に詳しい方がいたら、コメントで反論してほしい。待ってます!