「人生が一変するような素晴らしい体験ができる」
奇才デヴィッド・フィンチャー監督の『ゲーム(1997)』は、3つのオチが序盤から提示されている、面白い構造のサスペンスだった。つまり、3つのオチを観る側に選ばせるフィンチャー流の“ゲーム”が仕掛けられているのだ。
提示されている3つのオチとは一体何なのか?そして、名作『セブン』のアンサーソングになっている点にも触れてみる。
※ネタバレあり
『ゲーム』の3つのオチとは?
映画『ゲーム』のラストのオチは騙された!となった人が多いと思うが、実はオチは3つのうちから選ぶ形式になっていたのだ。その3つとは、
A.本当にゲーム
B.詐欺集団の罠
C.主人公が狂っている
というもの。大きく分けるとこの3つになる。
AパターンはCRSという会社が提供するサービスが本格的すぎて、登場人物が全員グルだというもの。Bパターンは詐欺グループが主人公のニコラス(マイケル・ダグラス)を狙っており、登場人物の一部がグルだというもの。Cパターンはニコラスだけ気が狂ってしまっただけというもの。
通常、サスペンス映画ではオチがまったく想像つかないことが多いけど、『ゲーム』の場合は「オチは3つのうちどれかだよん〜」と序盤から提示されているところが画期的なのだ。
『ゲーム』のラストはAパターンの連続
『ゲーム』のラストは、ニコラスが屋上でシャンパンを持った弟を撃ってしまい、ショックで屋上から飛び降りるが、大きなクッションが敷かれており、下の階のラウンジでみんながニコラスの誕生日を祝うというもの。
「Aパターンだったのに、トラブルで悲劇になった」→「それも仕掛けでみんなでお祝い」という、Aパターン失敗と見せかけてからの、やっぱりAパターンという結末。Aパターンを連続させることでオチの細部の予想を防いだ。
Aパターンを予想してた人にも、意外性を与えて楽しませてくれている。
“ゲーム”のプレイヤーはフィンチャー自身
この『ゲーム』という映画は、3つのオチを観る側に選ばせるフィンチャー流の“ゲーム”だと説明したが、フィンチャー自身もゲームのプレイヤー的な目線で映画を作っていたように感じる。
フィンチャーは、映画を撮ったり編集したりしながら、「ここで観客は『オチはCパターンになる』と騙されるだろうな」とほくそ笑んで楽しんでいたのだ(おそらく)。
僕ら視聴者は、3つの選択肢をフィンチャーの手のひらの上で終始コロコロ転がされていたのだろう。デヴィッド・フィンチャーはやはり奇才と呼ぶにふさわしい監督である。
『ゲーム』は『セブン』のアンサーソング
デヴィッド・フィンチャー監督の『ゲーム』の前の作品が、ブラピ主演のかの有名な『セブン』。『セブン』は超悲劇的な結末になっていたが、『ゲーム』は対照的に希望のある終わり方になっている。フィンチャーは『ゲーム』を『セブン』と対になるアンサーソングのようなイメージで作ったのではないだろうか。
- セブン→犯人は一人、ラストは悲劇
- ゲーム→犯人は全員、ラストはハッピー
対になっているのはこの辺だろうか。しかし、それ以上にフィンチャーはセブンとは趣向を変えて、絶望からの希望を描いてみたかったのだと思えてならない。