スーサイド・スクワッド酷評!ジョーカーがダメな理由!ハーレイ・クインのプロモ?無料視聴サイトで観よう

スーサイドスクワット アニメーション

スーサイド・スクワッドはオーディエンスの期待に応えられたのか!?イヤ!できなかった!

設定や、テーマがブレッブレ!しかしハーレイ・クインのキャラクタービジュアルは素晴らしい!という、ちぐはぐな映画になってしまっていた!

ハーレイ・クイン

DCコミックスのお偉いさんや、配給元のワーナーと、製作陣の連携が全然とれていないのだろう。とにかく、スーサイド・スクワッドの意味不明だった点を語って行く。

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スーサイド・スクワッドとにかくガバガバ設定

スーサイド・スクワッドはスーパー・ヴィランが暴れるエンタメ映画なので、設定のアラを探すのは、少々野暮だとは思うが(しかも、脚本が6週間で書かれるなどの超タイトスケジュール)、これは目立っておかしかったなあ・・・というものを紹介しておく。

スマホを許されるハーレイ・クイン

スーサイド・スクワッドに参加しているハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)が、普通にスマホでジョーカー(ジャレット・レト)とやり取りしている。国家機密の任務で集められているのに、スマホ許すなよ、チェックしろよと思った。

ルールを教えるためだけに死ぬスリップノット

首に本当にナノ爆弾が仕掛けられているのか!?キャプテン・ブーメランがスリップノットをそそのかし、彼は隊から抜けようとする。そして、リック・フラッグがスイッチを押し、スリップノットは爆死。

そう、彼はみんなに爆弾がちゃんと埋まっていると教えるためだけに存在した。

ナノ爆弾を埋めるカットを数秒でも入れておけば済んだ話じゃん。スリップノットというキャラの必要性薄すぎ!?

モブの敵が弱すぎ、リアリティ皆無

エンチャントレス(カーラ・デルヴィーニュ)が人間から作り上げた黒いブツブツの怪物が、ヴィランたちからすると弱すぎる(殴ったりして頭を破壊すれば死ぬっぽいので)。なので、戦闘シーンに緊張感がなくなり、まったくのめり込めない。

しかも、夜のシーンで、顔まで黒いビジュアルだから本当に見づらい。頭がパリンと砕けるというのも、人形のような印象を受け、こんな安っぽいヤツらと戦う価値は、ゼロに等しいと思えてくる。

カメンライダーのショッカーの戦闘員を見習って欲しい。モブキャラならではの愛嬌や魅力が詰まっているではないか!

モブだからと、悪い意味で本当にどうでもよい存在としてしまった。これはスーサイド・スクワットという映画の大きな失敗だ。

ハーレイ・クインがビルに着地

ハーレイ・クインはいくら戦闘能力が高いとはいっても、元は普通の人間である。結構な速度で飛んでいるヘリコプターからビルの屋上に落ちても、転がってすぐに態勢を立て直し、まったく無傷というのがちょっと違和感。

車から転がり落ちるのもかなりの衝撃なのだから、そこに落下が加わるとものすごい負荷がかかると思うのだが・・・

ハーレイ・クインが戻ってくる

ハーレイ・クインは、ジョーカーの手下のプログラミングによって、首に埋まっているナノ爆弾の爆発を解除されているので、ヘリが墜落したあとで、スーサイド・スクワットへ戻るのは違和感がある。

ジョーカーがいなくなって寂しいから、みんなと一緒にいたい気分だったのか?

お互い会って間もないのに芽生えるデッド・ショットたちへの仲間意識が非常にチープにみえる。

殺されるのに飲みに行く

デッド・ショットは、自分たちが、アマンダ・ウォラー(政府の高官でスーサイド・スクワッドの発足人)が、エンチャントレスを逃してしまった尻拭いとして危険な任務をしていると聞き、酒を飲みに行くというシーンがあり、ヴィランたちはみんなそれに続く。

フラッグ大佐に爆破のスイッチを押されるかもしれないというのに!

みんな任務がアホらしくて、どうでもよくなるという流れはわかるが(フラッグ大佐すらどうでもよくなっているので)、もともとヴィランにとって、政府から与えられた任務をこなすこと自体が、メンツやプライドに関わる重要な問題ではなかったのか?

それに比べれば、どんな任務をするか?というのはとても些細な問題にみえるのだが・・・

ジャレット・レト版ジョーカーの小物感がヤバイ

ジャレット・レト版のジョーカーが実にイケていなかった。なぜだろうか?個人的な見解を述べてみる。

人を銃ですぐ殺す演出からの小物感

今までジョーカーの実写版で評価されているのは、ジャック・ニコルソンと、ヒース・レジャーだった。ジャック演じるジョーカーは、毒ガスや高圧電流など”異常”な殺しかでサイコパス性をみせる。一方で、ヒース・レジャーの方は自分で直接手を下すことはほどんどなかった。

ジャックは「楽しくない殺し方はしません」ヒースは「自分でやるより人を使った方が、大物感が出る」と、殺しに対してポリシーのようなものが画面越しに伝わってきたのだが、ジャレット・レトのジョーカーは、銃ですぐに撃つだけ・・・グッド・フェローズのジョー・ぺシの真似か!?すぐにキレて人を殺す映画の登場人物って既視感がすごくてジョーカーがやると、逆に小物感が出てしまう。

とにかく、殺しに関する美学がない!

というのが、ジャレット・レトのジョーカーに対しての僕の意見である。

ジャレット・ジョーカー2

顔や表情が薄い

ジャレット・レトのジョーカーは、キレイに白く色づけされているので、表情が薄くなってしまっている。シワなどもまったく見えないのだ。

ジャレット・レトジョーカー

喜び、恐怖、狂気などの表情が伝わってこないといえば分かりやすいだろうか。のっぺりした宇宙人みたいな白い人間からは、脅しの凄みも伝わってこない。

ヒース・レジャーのジョーカーとは真逆といってよいアプローチだろう。

撮影前に共演者にネズミや豚の死体をプレゼント

ジャレット・レトは、ジョーカーになりきるために、共演者のマーゴット・ロビーにラブレターと生きたネズミをプレゼントしたり、ほかの共演者に豚の死体を送ったりしたという。プライベートから、ジョーカーに成り切るという役作りはわかるのだが、ちょっと”イタ”くないか?

ジョーカーのシーンは、カットされ過ぎたらしい

役作りにのめり込み過ぎた結果、ジャレット。レトの変にシリアスなジョーカーは、ヴィランがお祭り騒ぎをするという、スーサイド・スクワットのコンセプトにそぐわないものとなり、撮影したシーンが大幅にカットされたのだという(それだけで映画ができるほど)。

もしかするとカットされた中には、彼なりのジョーカー美学や狂気が詰め込まれていたかもしれないが、日の目を見ることはなかった(カワイソウ)。

ジャレットレトのジョーカー

役や演技には、芸術的な側面もある。芸術では、気合いの入れすぎは、かえって逆効果になる場合もある。意識過剰なアプローチは、失敗する場合もあるのだ。ジャレット・レトは、その典型的な例になってしまったといってよいだろう。

ヴィランの概念や魅力が崩壊

スーサイド・スクワットでは、ヴィランの概念や魅力が崩壊してしまったと思う。

世界を救うヴィランという超矛盾

デッド・ショットはいいとして、そのほかのヴィランたちも、みんな最後はエンチャントレスという悪を倒すために戦う。

自分たちを犠牲にして、人々を救う!それってヒーローじゃん!

もちろん、ヴィランがいいヤツになるという展開も、ナシではないけども、 DCコミックスの人気ヴィランがこのような変貌を遂げてしまうと、違和感が大きくて混乱してしまう。彼らのサイコパス性が崩壊し、それとともに、悪独特のカリスマ性も崩壊してしまうのだ。

ヴィランが強い目的ナシに、仲間意識を持つ矛盾

スーサイド・スクワットは、ヴィランたちが、爆弾で殺されたくないというところからスタートしており、デッド・ショットは娘に会いたい、ハーレイ・クインはジョーカーに会いたいなど、個々の事情はあれど、みんなで協力する理由は、基本的に”殺されたくない”以外ないはずである。

ウィル・スミス

大きな目的はないのだ。それにも関わらず、みんなすぐに、仲間意識を持ち始める。ヴィランが仲間意識を持つのが許されるのは、ヒーローを協力して倒そうとするとか、大きな悪事を働くとかそういう場合だけじゃないか?

彼らが戦いや、バーでの慰め合いで仲間意識を持ったというなら、自分より壊れていてかわいそうな人間に会ったことがないという、悪なりの深い共感をしっかり描くべきだし、単に悲しい話に共感したという程度なら、とても薄っぺらいし、サイコパス性皆無で普通の感覚を持った、おじさんお姉さんの集まりだったということになってしまう。

スーサイド・スクワットの監督、デヴィッド・エアーはトレーニング・デイの脚本を書いた人で、ギャングが周りにわんさかいる環境で育ち、悪人の中にも人間性があるということを描きたいタイプの監督である。

しかし、ヴィラン=普通の悪人と単純に結びつかないところで、目的意識や仲間意識の持たせ方に、致命的なツギハギ感が出てしまった。

スーサイド・スクワッドのテーマはジャスティス・リーグとの闘い?

ラストで示唆されていたように、スーサイド・スクワットは、ブルース・ウェインに敵対意識を持たれて、対決するのか!?スーサイド・スクワットVSジャスティス・リーグが出来ちゃうのか!?

ハーレイ・クイン2

ファンにとってはヨダレが垂れそうなオイシイ展開だろう!

しかし、スーサイド・スクワット=いい人の集まり、ヒーローも基本いい人、という今の状態では、信念や考え方が違うだけの争いになってしまう。これって、マーベルのシヴィル・ウォーじゃない!?

DCには魅力的なヴィランがいるから、ヴィランはヴィランのまま、ヒーローと対決する方が絶対に面白い映画になると思う!

結論:ドラマ要素・ハチャメチャ感ともに中途半端

スーパー・ヴィランたちが一堂に会する映画!スーサイド・スクワッド!と聞いて、ファンや観客は何を期待しただろうか?

  1. ブっとんだヴィランの魅力
  2. ヴィランに垣間見える意外な人間性

主に、この二つのどちらかを求めて作品を観たと思うのだが、ブッとんだヴィランの魅力は、ほぼ描かれておらず、ヴィランの人間的な一面についても、非常にチープな印象で終わった。

スーサイドスクワット 2

つまり、みんなの願いを叶えることができない映画になってしまったわけだ。スーサイド・スクワッドにブーイングの嵐が起こるのは仕方ない。

まとめると、スーサイド・スクワットは、ハーレイ・クインのPV(プロモーション・ビデオ)

だったといえるだろう。

ガムを食べるハーレイクイン

ABOUTこの記事をかいた人

フリーライター/映画評論家/沖縄県在住のアラサー男子 誕生日は3月27日でクエンティン・タランティーノと一緒。 中学のとき、友だちに『シックス・センス』のネタバレをされトラウマに。バンドや作詞作曲活動も行っており、2019年は田港栄輝監督の『ストレプトカーパス(2020年公開予定)』という映画への出演と楽曲提供をしました。 傑作映画を求めて彷徨うムービーファントムであり、どんなジャンルにも食いつきます。“どのサイトにもない考察”を目指しており、その映画をもっと深く知りたいという人の手助けをするために日々奮闘しています。 好きな映画は『マルホランド・ドライブ』『ユージュアル・サスペクツ』『パルプ・フィクション』。好きな監督はデヴィッド・リンチ、マーティン・スコセッシ、クエンティン・タランティーノ。 【海外ドラマ】『ウォーキング・デッド』『ツイン・ピークス 』 【マンガ】『ジョジョの奇妙な冒険』『ハンター・ハンター』 【音楽】NIRVANA、プリンス、ブルーノ・マーズ